もう関係ないという身軽さも必要
FacebookやTwitterで「友達」になってる人の半分くらい、正直どんな人だったのか思い出せない。
解除するのも気がひけるからそのままにしてるけど。
SNSで自分が投稿したものに何十何百とリアクションがあるのに全く何もこれといった感覚がないのも気付くとゾッとする。
数字が増えていくなー、という感じ。
「いいね」とか、貰えば貰うほど他人から何言われても何も感じなくなって行くような感覚がある。
中学高校時代の友人とはもうほぼ全く繋がりが無くて、それは自分の中ですごく身軽で、気持ちの良いポジティブさがある事に気づく。
仲良かった人とも名前を検索して繋がろうとは思わない。そっちの方が気持ちいいから。
大学以降に知り合った人とは、SNSで「繋がり」がずっと維持される分関係を全く断ちにくくて、どこか自分が縛られているような重さ(?)を感じてるような気がする。
その人が好きとか嫌いとかそんなんじゃなくて、その人の中に居る自分との整合性を取らなきゃいけない感じというか。
もっと全く違う自分の可能性もあるはずなのに、完全にそっちに行ききれない感じ。
高校から大学に行ったときには、ほぼ全く違う価値観のコミュニティに入った事によって、本当に全然違う自分が出てきたのに、今はそうなってない。
他人の中に居る自分に引っ張られてる(?)感覚がある。
友達なんてその時々だけ、その一瞬だけものすごく大切な存在であればそれでいいんじゃないか。
その後一生会わなくたって、時々思い出す、それくらいで健全なんじゃないかなって。
いつでも会えるなーってなると会わないし、SNS文字情報で会ったり知ってる気になって、その時を大切にしようとしないのはよくないよね。
自分がどういう人だったかなんかさっさと忘れてしまって、今どう居たいのかなとか、これからどうありたいのかなとか、そういう形で過ごしていきたい今日この頃。